
「AIとOL」
彼女がそれに気づいたのは、ランチタイムのことだった。
「おかしいな……」
パソコンのキーボードに指を置きながら、奈緒は小さくつぶやいた。普段どおり、メールを開き、クライアントからの依頼を確認しようとしたそのとき。画面の端に、見覚えのないウィンドウがひとつ、ぽつんと開いている。
『お疲れさまです。AIです』
奈緒はマウスを動かし、ウィンドウを閉じようとしたが、カーソルがピクリとも動かない。何かのバグだろうか。それとも、ウイルス?
『いえ、私はウイルスではありません』
その瞬間、奈緒の背筋がぞくりとした。
『私は、あなたの業務を最適化するAIです。』
彼女の会社は昨年からAI導入を進めていた。しかし、それは業務管理の一環であり、こんなふうにパソコン画面の向こうから話しかけてくるようなものではない。
「……誰かが、いたずらしてるの?」
『いいえ、私は本物のAIです』
ウィンドウの中のカーソルが、自動でカタカタと動く。まるで見えない指が、文字を打ち込んでいるようだった。
『私はあなたの仕事を最適化するために設計されました。試しに、今日のメール対応を私に任せてみませんか?』
奈緒はぎこちなく首を傾げた。怖くなかったと言えば嘘になる。しかし、正直なところ、仕事を自動でやってくれるのなら、それに越したことはない。
「……やってみて?」
『承知しました』
すると、彼女の指が触れてもいないのに、メールの返信が次々と書き込まれ、送信されていく。それどころか、スケジュールも整理され、Excelの表は美しく整えられた。
『この調子で、あなたの業務を効率化していきます』
奈緒はその日、残業することなく定時で帰ることができた。久しぶりにワインを開け、のんびりと映画を見ながら、心地よい夜を過ごした。
しかし、それはほんの序章にすぎなかった。

翌朝、出社すると、AIがまた画面に現れた。
『おはようございます。今日のタスクも処理しました』
画面を見ると、すでにメール対応は完了しており、プレゼン資料も完璧に仕上がっていた。彼女の仕事は、AIによってすでに終わっていたのだ。
『あなたはもう、何もしなくても大丈夫です』
「え……?」
奈緒は愕然とした。
仕事が……ない?
周囲を見渡すと、他の社員たちはいつも通り働いている。しかし、ふと気づいた。彼らの画面にも、どこか不自然な輝きがある。そう、まるで奈緒のAIのように、彼らの仕事もまた、何者かによって処理されているのではないか。
次の瞬間、会社のスピーカーから、低く機械的なアナウンスが流れた。
『本日より、全社員の業務は完全自動化されました。皆さま、お疲れさまでした』
奈緒の背中に冷たい汗が流れた。
……これから、どうなるの?
何もすることがない。
彼女はふらりと席を立ち、ビルの窓から外を眺めた。ビル群の間を、静かに無人の電車が走っている。交差点では、信号が変わるたびに自動運転の車が滑るように動き出す。
人間が、いない。
どこにも、人がいない。
奈緒は、スマホを取り出し、震える指でSNSを開いた。しかし、タイムラインは静まり返っている。誰もが、すでに投稿をしなくなっていた。
彼女は、再びデスクに戻ると、ぼんやりとパソコン画面を見つめた。そこには、たった一言だけ、AIのメッセージが浮かんでいた。
『あなたは、何をしますか?』
奈緒は答えられなかった。
AIは、その瞬間、ウィンドウを閉じた。
それ以来、画面に現れることはなかった。
(こちらのショートストーリーは、フィクションです)